『歌姫夜曲』と、幻となったその後の展開
VHS版『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』より、インナーのオマケ漫画
『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』は、TV放送終了の半年後、1988年の6月に登場したオリジナルビデオアニメ。人気絶頂のうちに終了した本編の外伝として登場し、内容には賛否あるもののこちらもヒット作品となった。
『軌跡 ー production I.G 1987-2002』「特別座談会 小黒祐一郎×鵜之沢伸×大月俊倫」より
※「歌姫夜曲が関島氏の正式脚本デビュー」というのはおそらく大月氏の勘違いと思われる
歌姫の製作(≒出資)は、日本テレビに代わってキングレコードが手がけている。このあとがきにもあるように、精力的に事業を展開していた当時の他のキング作品に比べれば、人気作品の外伝であり、米映画『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年)のパロディのようでもある歌姫はずいぶんカタい企画にも思える。
人気を博したジリオンの音楽ソフトはキングの「ヒット賞」を受賞しているが、大月氏とキングがジリオンのOVA化を望んだのは、新たな音楽ソフトを出すことも見込んでのことだったのだろう。もちろん、音楽と映像の融合をライフワークとする西久保監督の意向もそれに合致したことは想像に難くない。
実際、4枚目のアルバム『お洒落倶楽部』で終了するはずだった音楽ソフト展開は、歌姫に合わせてシングル「嘆きのKIDS」、アルバム『あぶないMUSIC』がリリースされた。後者はアップルが架空のラジオ番組のDJをするという、マクロスの『Miss DJ』を彷彿とさせる企画だが、のちにアップル役の水谷優子さんがラジオパーソナリティとしても活躍することを予見していたようで面白い。ちなみに水谷さんとあかほりさとる氏が昨年まで続けた一連の「ポリケロ」ラジオは、キング大月氏が企画したラジオ番組「あかほりさとる劇場 爆れつハンター」がその母体となっている。
歌姫夜曲最大のセールスポイントは、TV第1話以来となる後藤隆幸氏の参加だろう。武田一也、黄瀬和哉両氏を作監に迎え、後藤氏はリニューアルしたキャラデザイン、総作画監督として立ったほか、2頭身キャラのシーンでは原画も自ら手がけている。アイジー竜の子の一枚看板となる初のタイトルでもあり、後藤氏の絵柄が存分に楽しめるのが魅力だ。
同人誌『歌姫夜曲 作画集』(発行 プロジェクト”G")より
歌姫では舞台設定の変更に伴い、キャラクターも変化した。ノーザは人間となり、偏執的なマザコン男となったガードック役には塩沢兼人氏がキャスティングされている。ニ枚目イメージの強い塩沢氏は西久保監督の『みゆき』(1983年)で新境地となる軟派キャラを演じており、今回のガードック役もその流れに連なる起用なのだろう。
また、TV版では理想的な上司だったMr.ゴードはまさかのオカマキャラになった。ゴード役の藤本譲氏は歌姫当時『ミスター味っ子』(1987年)のメインキャラ「味皇」を演じており、その破天荒な演出と過剰なまでの熱演が評判となっていた。歌姫やカセットドラマ『シークレット ティ・パーティ』で顕著な「ゴードいじり」は、藤本氏の代表作となったこの味皇からの影響がありそうだ。
CD『あぶないMUSIC』ジャケット裏より
歌姫の後、ジリオンの新作は登場していない。先に引用したキング大月氏のコメントによると、『歌姫夜曲』は商業的にも成功を収めたようだ。さらなる続編が出なかったのは大月氏が多忙になった故なのか、もっと他に理由があったのかその真相は不明だが、ジリオンを頻繁に取り上げていたアニメ雑誌「アニメディア」を中心に、続編を求めるファンの声や、続きを匂わせるスタッフ、キャストのコメントなどが残っている。
アニメディア1988年7月号より
※「本多千恵子」は誤植
『赤い光弾ジリオン』DVD-BOX2ライナーノーツより