『赤い光弾ジリオン』とSF小説『エンダーのゲーム』の微妙な関係
『赤い光弾ジリオン』最終話「勝利のラストシュート!」より
今年亡くなった日本映画の鬼才 鈴木清順氏に、『殺しの烙印』(1967年)というカルト映画がある。
終盤に近づくにつれワケがわからなくなる作品としてもおなじみだが、この映画の冒頭シーケンスは冒険小説の名作、ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』(1965年)を下敷きにしたとされている。まだ邦訳前の『深夜プラス1』を脚本合宿に持ち込んだのは鈴木清順監督か、脚本家の大和屋竺氏かは諸説あるものの、殺し屋ランクNo.3のガンマンといい、印象的なモーゼルといい、原作のムードを壊さない良質なオマージュとなっている。
映画『殺しの烙印』予告編
1987年のジリオンにも、似たような関係の作品がある。それがSF作家オースン・スコット・カードの代表作であり、近年映画にもなった『エンダーのゲーム』。
『エンダーのゲーム』は当初中編として書かれ(1983年)、その圧倒的好評に応える形でのちに長編版が発表(1986年)されている。
オースン・スコット・カード著 野口幸夫訳『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫SF)旧版表紙
主人公の少年 エンダーは人類を苦しめた敵異星生命体バガーを、奇策をもって彼らの惑星ごと葬ることに成功した。しかし人類の救世主となったエンダーの心は晴れず、バガーの痕跡を求めて宇宙に旅立つ。そして導かれるように降り立ったある惑星で、エンダーはバガーの卵に出会う……というストーリーが、中編版から長編版へとブローアップされた際に追加されている。
このストーリーは、滅びゆくノーザの卵を滅ぼす側のホワイトナッツが救った『赤い光弾ジリオン』の最終回とよく似ている。それは、「かかる火の粉は払わにゃならぬ」だったとしても、敵対する種の根絶までするのはやり過ぎなのでは?という現代的な疑問だ。『エンダーのゲーム』長編版の邦訳が登場したのは、なんとジリオン最終回(12月13日放送)直前の1987年11月。いかにジリオンのスケジュールが逼迫していたとはいえ、さすがにこの期間では邦訳を読んで影響されたとは考えられない。
伊東氏は以前にも紹介したように(こちら)、ジリオンの前年まで放送していた『蒼き流星SPTレイズナー』(1985年)では原作とシリーズ構成を兼ねており、1987年当時は意欲的にSF作品に取り組んでいた。その過程で、冒頭で紹介した『殺しの烙印』の例と同様に、伊東氏が邦訳前の海外小説のエッセンスをジリオンに導入したのではないだろうか。
映画『エンダーのゲーム』のラストシーケンスより
多数の賞を受賞し、読者の圧倒的な人気を得た『エンダーのゲーム』は続編が続々と登場した。そのハリー・ポッターにも似たエンダーのサクセスストーリー(ちなみにエンダーはハリポタより古い作品である)は、保守的と言われながらも、常にアメリカSFのメジャーであり続けた。
ジリオンがスピンオフ作品『歌姫夜曲』以降続編が出なかったのは、TVの最終回以降、伊東氏がノータッチとなったことも大きいのではないだろうか。
ともあれ、当時でさえやや大時代的ともいえた伊東氏のドラマ志向と、アメリカン・ニューシネマの洗礼を受けた西久保監督のアンチ・ドラマ志向との衝突が、エンダーとは異なるジリオンの魅力となったのは間違いないところだろう。
ちなみにジリオンで文芸担当として参加していた関島真頼氏は、のちにグレッグ・イーガン風のゴリゴリのSFアニメ『ゼーガペイン』(2006年)を世に送り出しているが、ジリオンの当時は伊東氏渾身の最終回に対して、以下のようなコメントを残している。やはり、良くも悪くも、年月は人間を変えるもののようだ。