ZILLION ARCHIVE ROOM(Yahooブログ移行版)

Yahooブログから流れてきたTVアニメ『赤い光弾ジリオン』非公式ファンサイトです。元々は放映30周年を記念する週刊ブログでしたがそのまま不定期で続いています。

ジリオン作画列伝(2) ~アニメアールと京都アニメーションが支えたジリオン~

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アニメアール吉田徹氏によるJ.J。アニメV別冊『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』より
 
赤い光弾ジリオン』の作画ではタツノコプロの前作『ドテラマン』(1986年)から引き続き「竜の子アニメ技術研究所」が中心的な役割を果たしたが、大阪のスタジオ「アニメアール」の貢献もそれに劣らぬものがあったようだ(こちら)。
タツノコ制作分室誕生のゴタゴタはあったものの(こちら後藤隆幸氏が当時の状況を語っている)、前者では水村良男氏や浜崎博嗣氏が、後者は黄瀬和哉氏や沖浦啓之氏が目立った活躍を見せている。ちなみにタツノコ制作分室は東京、アニメアールは大阪のスタジオであり、制作当時はお互いの面識もなかったそうだ。
 
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赤い光弾ジリオン』ブルーレイBOX特典ブックレット 浜崎博嗣氏・黄瀬和哉氏・沖浦啓之氏の鼎談より
 
アニメアールは関西のアニメスタジオの先駆けであり、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)などに参加していた谷口守泰氏が1977年に大阪に設立した。谷口氏が第1スタジオ、谷口氏に請われてアールに参加した村中博美氏が第2スタジオの長となり、黄瀬和哉氏らの所属するこの第2スタジオはジリオンの前後で「スタジオ ムー」として独立に表記されるようになった。
 
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アニメディア別冊『赤い光弾ジリオン』より、黄瀬和哉氏のイラストコメント
 
アニメアールは『太陽の牙ダグラム』(1981年)『装甲騎兵ボトムズ』(1983年)以降、サンライズでは高橋良輔監督と組むことが多かった。このボトムズに参加したアニメアールはリアルさとケレン味を併せ持つ独創的メカアクションを披露、「格好悪いロボットのアニメ」という下馬評を瞬く間に覆し、「リアルロボットアニメの到達点」とまで賞されるようになる。
サンライズ作品の印象の強いアニメアールだが、社長谷口氏の出自の通り、タツノコ作品との関わりも多い。ジリオンの制作プロデューサー石川光久氏が担当したTVシリーズ未来警察ウラシマン』(1983年)のスタッフには、若き黄瀬和哉氏を含むアニメアールの名前が見える。そして石川氏に請われて参加したジリオンでも、沖浦氏や黄瀬氏の巧さを監督西久保氏が激賞した。
 
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『軌跡 ー production I.G 1987-2002』「特別座談会 小黒祐一郎×鵜之沢伸×大月俊倫」より、大月氏の発言
 
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『軌跡 ー production I.G 1987-2002』「特別対談 押井守VS黄瀬和哉」より
 
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赤い光弾ジリオン』DVD-BOX2ライナーノーツ「西久保瑞穂×後藤隆幸 スペシャル対談」より
この黄瀬氏のエピソードはブルーレイBOXの西久保氏インタビューにも再度出てくる
 
動画以降の仕上げ(線画をセルに転写し、セルに色を塗る工程)は、やはり関西のスタジオである京都アニメーション京アニ)が多くを担った。
京アニは2000年代以降、特にキャラクター作画において他を圧倒するクオリティを見せ、現在のキャラクターアニメ全盛時代を拓いた。京アニのファン人気は非常に高く、ジブリなどと並んで、本邦におけるアニメのトップブランドといえる。
 
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その2000年代以降の華々しい活躍から新興スタジオとの誤解もあるようだが、京都アニメーションの歴史は古く、虫プロの仕上げスタッフだった八田陽子・英明夫妻がその名の通り京都でスタジオを立ち上げたのは1981年のことだった。
ジリオンへの参加は、やはり『ウラシマン』や『ドテラマン』で付き合いのあった石川光久氏のたっての希望であり、制作母体となったタツノコ制作分室も、八田夫妻の協力で設立されたそうだ。また、TVシリーズ終了後に石川氏と後藤氏がアイジー竜の子を興した際にも、八田夫妻はアイジーへの出資を行なっている。
 
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赤い光弾ジリオン』EDより、八田氏のクレジット
 
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石川光久著『現場力革命』より
 
また、ジリオンで監督をつとめた西久保氏も、八田氏に京都に誘われたことを述懐している。西久保氏は「自分が行っていたら京アニの今日の隆盛はなかった」と謙遜しているが、都会的センスを武器とする西久保氏が京アニと手を組んだらどんな作品が生まれたのか、ちょっと見たかった気もする。
 
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赤い光弾ジリオン』ブルーレイBOX特典ブックレット 西久保監督インタビューより
 
アニメアール京都アニメーションジリオンTVシリーズから引き続いて押井監督のOVA機動警察パトレイバー』、そしてジリオンOVA『歌姫夜曲』(ともに1988年)にも参加し、クォリティの高い作画を披露した。
I.G社長の石川氏はI.GタツノコからプロダクションI.Gへと社名を改める際、タツノコとともに京都アニメーションの出資も返納している。『赤い光弾ジリオン』は、タツノコの黄昏期に生まれ、絶頂期のアニメアールとブレイク前の京都アニメーションに育てられた、揺籃期のI.Gならではの作品だったといえるだろう。
 
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次回は、講談社の児童向け漫画雑誌スーパーボンボンに連載されたマンガ版ジリオンと、その姉妹編、コミックボンボン本誌に載ったジリオン絵物語を紹介。