ZILLION ARCHIVE ROOM(Yahooブログ移行版)

Yahooブログから流れてきたTVアニメ『赤い光弾ジリオン』非公式ファンサイトです。元々は放映30周年を記念する週刊ブログでしたがそのまま不定期で続いています。

ゴールドライタン・ウラシマン・モスピーダ ~ジリオン・ジ・オリジン(4)~

まずは告知。
12月5日現在、東京・西荻窪のササユリカフェにて後藤隆幸氏の個人展が開催中。
大量のジリオン関係の原画、イラストが展示されているので、ジリオンファンには強くお勧めしたい。期間は25日まで。
 

 
イメージ 1
アニメージュ1987年6月号より
 
タツノコプロは1970年代に多数のオリジナル作品を輩出したが、1978年の吉田竜夫氏の死去と前後してスタッフの独立、流出が相次ぎ、80年代なかばにはオリジナル作品より原作モノの比率が高くなってゆく。制作ラインが縮小し、創業以来蜜月の関係だったフジテレビとのパイプも途切れ、局も放送枠も定まらず、予算も抑えられたタツノコ暗黒時代の中で久々のヒットとなったのがジリオンだった。
ジリオンではタツノコ初の動画枚数制限が敷かれ、ベテランの井口忠一氏や貞光紳也氏などもそれにずいぶん悩まされていたようだ。
 
イメージ 2
 
タツノコがまだフジテレビを主な拠点としていた80年代初頭に、その井口氏や なかむらたかし氏、西久保氏たちの若手が手がけた意欲作がテレビ東京の『黄金戦士ゴールドライタン』(1981年)だった。
 
 
ゴールドライタンは西久保監督のタツノコ時代の同期、真下耕一氏の初監督作。以前にも触れた通り(こちら )、出崎統監督との仕事に限界を感じていた西久保氏は、真下氏に誘われてこのライタンに参加している。
 
イメージ 3
八王子夢美術館『押井守と映像の魔術師』展図録 西久保氏インタビューより
 
キャラクターデザインこそ九里一平=吉田三兄弟の末弟 豊治氏ながら、真下氏を筆頭にタツノコで育った若手たちがこぞって参加したライタンはタツノコの新時代を告げる作品となった。
 
イメージ 4
『語れ!タツノコ真下耕一氏インタビューより
 
中でも真下氏と西久保氏が脚本、西久保氏が絵コンテと演出、なかむらたかし氏が作画監督を担当した第48話「標的マンナッカー」は出崎監督譲りのクールなタッチがタツノコに新風をもたらし、アニメファンにも評判となった。このエピソードはアカデミー脚本賞も受賞した米映画『手錠のままの脱獄』(1958年)をベースにしたと思われるが、真下、西久保両氏のアメリカ映画への傾倒がこのあたりからも見て取れる。ちなみにライタンにはやはり西久保氏や真下氏の同期 押井守氏も参加しているが、こちらはロマン・ポランスキーを意識したエピソードを手がけており、こちらも後年のヨーロッパ趣味がすでに顔を覗かせているのは面白い。
 
イメージ 6
イメージ 5
野田真外著『前略、押井守様。』より
 
タツノコから離れていた西久保氏をジリオンの監督に招き、その後も多くの作品を共に手がけているプロダクションI.G石川光久氏は、このライタンがアニメ業界における初仕事となる。石川氏がこのライタンでの西久保氏の仕事を見たことが、ジリオンでの監督起用に繋がっている。
 
イメージ 7
『軌跡 ー production I.G 1987-2002』西久保氏のインタビューより
 
また、以前にも紹介した(こちら)通り、石川氏は本作で なかむらたかし氏と出会ったことでアニメに対する情熱が芽生え、以降、師と仰ぐなかむら氏にジリオンでもOPを依頼している。
ライタンでは なかむら氏や井口忠一氏が1話を丸々手がける一人原画を披露し、そのTVアニメの枠を超えた作画が業界に衝撃を与えたそうだ。
 
そんなところにいきなり……。ちょうど杉野さんと一緒に飯を食いに行こうとしてたところだったんだけど、たまたまTVで、確か『Gライタン』のなかむらさんがやった「世忘れ村(の怪人)」を流していたんですよ。
小黒 ほおほお。
森本 その中で、懐中電灯がカラカラカラって転がるカットがあってさ。それを観た時に「えっ!? 今何が起こったの」っていうぐらい驚いた(笑)。「なんちゅうアニメがあるんだ」と。それで飯に行かないまま、杉野さんと最後まで観てたんだよ。他の場面も凄かったんだけど、最初に観た、その懐中電灯が転がるカットの印象が凄かった。もうドキドキしてね。それから1週間ぐらいして、友達を介して、たかしさんに「一緒に仕事をやりたいんですけど」って言ったんだ。で、それから、フリーになって今に至る。
小黒 じゃあ、『Gライタン』との出会いで、フリーになったと言ってもいいんですね。
森本 うん。あの「世忘れ村」がなければ多分、もう少しは、あんなぷるにいたかもしれない。
小黒 ちょっと余計な事を訊きますけど、杉野さんは、その時何かおっしゃってました?
森本 「多分、森本は(あんなぷるを出て)行くだろうな」と、そういう感じだったかな(苦笑)。
小黒 『ライタン』を観た時、杉野さんも驚いたんですか?
森本 驚いてました。でも、まあ、杉野さんはそれで揺らぐような事は勿論ないんだよね。出崎さんと杉野さんが作っていく、大きな流れっていうのはしっかりあるわけだから。
 
そのなかむら氏、井口氏と石川氏、真下氏がライタンに続いて組んだ作品が『未来警察ウラシマン』(1983年)となる。未来世界にタイムスリップした主人公が自身の過去を探しつつ犯罪組織ネクライムと闘う近未来ポリスアクションであるウラシマンは、それまでのキャラクター室の吉田、下元、天野、高田の各氏とは異なるスマートなキャラクターと大人びたセンスで、タツノコのみならずアニメ界に新風を吹き込んだ。
 
 
ジリオンは男二人に女一人のチーム構成や洒落た会話のセンスなどがウラシマンと比較されることが多いが、前述した真下監督と西久保監督の嗜好の近さ、石川氏とともに真下監督を支えた なかむらたかし氏、井口忠一氏、竜の子アニメ技術研究所やアニメアールなどの作画陣、貞光紳也氏や古川順康氏、石山タカ明氏などの演出陣はジリオンにも参加しており、ある意味ジリオンはウラシマン直系の作品だったといえる。
 
イメージ 8
未来警察ウラシマンコンプリートブック』表紙
 
ウラシマンはその大友克洋風のキャラクターや、ギャグとシリアスを往復する作風も相まって当時でも異色の作品であり、現在でも根強いファンを持つ。先日突如として発刊されたウラシマンのムックはその人気を裏付けるものといえるが、できればジリオンにもこういった資料本が出てきて欲しいものだ。
 
 
機甲創世記モスピーダ』(1983年)はウラシマンと同時期に放送されたSFアクション。こちらはタツノコも参加した大ヒット作品『超時空要塞マクロス』(1982年)の強い影響下にあり、企画スタジオ アートミックによる変形メカや本格的なSF設定はスタジオぬえの手がけたマクロスに遜色ないもので、こちらもタツノコの新世代として期待された作品だった。
しかし実際に制作されたフィルムにはマクロスやウラシマンほどの新鮮さはなかったようで、モスピーダは視聴率の不振から全26話で打ち切られている。
理由はやはり、脚本、演出陣の古めかしさだろう。同じ傾向はやはり同時期のタツノコSF作品『超時空騎団サザンクロス』(1983年)にも見られる。
 
イメージ 9
アニメック1984年3月号アートミックインタビューより
 
「若者たちからなるチームが宇宙から来た侵略者と戦う」モスピーダの基本プロットは、ジリオンにもそのまま受け継がれている。モスピーダの目玉だった「バイクから変形するパワードスーツ」はジリオントライチャージャーに受け継がれ、ロボットアニメ全盛期の残り香を感じさせた。また、なかむらたかし氏の手になるジリオンのオープニングアニメーションは、やはり伝説的なアニメーターである金田伊功氏の手がけたモスピーダへのオマージュにも見える。
 
 
赤い光弾ジリオン』はその放映当初、「モスピーダの世界にウラシマンのキャラを入れたような作品」とも評されたが、放映が進むに連れ、そのどちらとも異なる新たなファン層を開拓し、当代の人気作品となった。
本作までスタジオの苦境を支えた制作プロデューサーの石川氏やうえだひでひと氏を筆頭に、本作の前後でタツノコを離れたスタッフは数多い。タツノコで唯一、ファンの人気投票で一位を獲得した(こちらジリオンは、昭和時代のタツノコプロの総決算にして、その区切りとなった作品といえるだろう。
 
イメージ 10
タツノコプロ30周年記念全集』より
 
 
次回は、つい先日の12月2日に西荻窪のササユリカフェで行われた「後藤隆幸×西久保瑞穂のお話し会」の参加レポート。