ZILLION ARCHIVE ROOM(Yahooブログ移行版)

Yahooブログから流れてきたTVアニメ『赤い光弾ジリオン』非公式ファンサイトです。元々は放映30周年を記念する週刊ブログでしたがそのまま不定期で続いています。

1987年のアニメ界を席巻した「あの映画」

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アニメディア1987年3月号より

のちの『赤い光弾ジリオン』(1987年)、企画タイトル『シューティングファイター ジリオン』の企画は1986年の年末に立ち上がったようだ。タツノコプロの前作、ドテラマンの打ち切りが決まった頃だろうか。
 
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赤い光弾ジリオン』ブルーレイBOX特典ブックレット 植田もとき氏インタビューより
 
タツノコと長年コンビを組んでいた広告代理店 読売広告社が、新興のゲーム会社セガ・エンタープライゼス(当時)の発売していた玩具「超高速光線銃ジリオン」のアニメ化を提案、セガとしては初のマスメディアを用いたマーチャンダイズプロジェクトとして本作はスタートした。
プロジェクトのお手本となったのはタカラのロボット玩具をアニメ化した『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』(1985年)、その後追い企画である『マシンロボ クロノスの大逆襲』(1986年)あたりと思われ、また同時期にやはりゲーム会社であるハドソンも『Bugってハニー』(1986年)で自社IPのアニメ化に乗り出している。

 

オリジナルアニメ冬の時代と言われた当時、本作にかける意気込みについて当時の読売広告社 大野実プロデューサーの弁を紹介する。

 
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アニメージュ1987年3月号より
 
トップガン』は1986年に大ヒットしたアメリカ映画。主演したトム・クルーズをトップスターに押し上げた作品としても名高い。
 

 
日本ではジリオンの企画が動き出した1986年末ごろに公開され、こちらも大ヒットを飛ばした。ちなみにこの作品、監督トニー・スコットが日本のアニメ『超時空要塞マクロス』(1982年)を観て思いついたと言われており、ドッグファイトと青春恋愛ものの入り混じった作風や、音楽に依存した演出にもその影響は見て取れる。このマクロスのアニメーション制作はタツノコプロで、ジリオンでもプロデューサーを務めた岩田弘氏や、作画監督の井口忠一氏や浜崎博嗣氏も参加している。
 
そのトップガンをモデルにハイテクメカ+ライトな青春ものとして企画されたジリオンだが、実は全く同時期に同様のコンセプトを持ったアニメ番組が存在した。
 
ジリオンより2ヶ月早く放映がスタートしたサンライズの『機甲戦記ドラグナー』(1987年)がそれで、有名なオープニングアニメーションなどにトップガンの強い影響を見て取ることができる。
 
 
結果としてドラグナーは人気が振るわず、ジリオンはその年もっともヒットしたオリジナルアニメとなった。いま思えばトップガンのメカニック描写や空挺アクションを取り込んだドラグナーと異なり、MTV感覚と呼ばれたその映像と音楽の融合具合こそが、ジリオントップガンより色濃く受け継いだ要素と言えるかもしれない。音楽アニメ『街角のメルヘン』(1984年)を生んだ西久保監督の作風が上手くハマった好例と言える。
 
余談だが、『トップガン』はアニメ以外にも多くのフォロワーを生んでいる。織田裕二黒歴史『ベストガイ』(1990年)などもその一つだが、フォロワー最大のヒットとなったのはおそらくアーケードゲームの『アフターバーナー』(1987年)であろう。製作はセガ・エンタープライゼス、本作『赤い光弾ジリオン』のスポンサーであった。
 
次回は、意外とバリエーションの多い当時の映像ソフトについてと、いま現在でジリオンを見る方法について。