OVA『アウトランダーズ』〜ジリオン・ジ・オリジン(5)〜
『アウトランダーズ』VHS版より
『赤い光弾ジリオン』の放映は1987年4月に開始されている。
ジリオンを制作したタツノコプロではその直前までTVシリーズの『ドテラマン』(1987年2月まで放映)(こちら)と、OVA『アウトランダーズ』(1986年12月発売)を制作していた。子供層をターゲットにタツノコ伝統のギャグ、コミカル路線だったドテラマンに対して、カルトマンガをOVA化したアウトランダーズはタツノコの新境地ともいえる。
タツノコの手がけたOVAとしては1985年に登場した『機甲創世記モスピーダ LOVE,LIVE,ALIVE』があるが、これはTVシリーズの映像を元に一部新規映像を追加して作られたミュージックビデオであり、やはり同様な構成の『マクロス Flash back 2012』(1987年)ともども、製作・発売元であるビクター音楽産業(当時)の強い意向を感じさせ、同じくビクター発売の本作にも同様な背景がありそうだ。
本作『アウトランダーズ』は白泉社から発行されていた少年マンガ雑誌「月刊コミコミ」の看板タイトルだった、真鍋譲治氏によるコミックのOVA化作品。コミコミは2021年現在も発行されている白泉社「ヤングアニマル」の前身であり、当時としても、少年誌とは思えぬマニアックな印象のある雑誌だった。『攻殻機動隊』以前の士郎正宗氏も本作と同時期に同誌で『ドミニオン』を発表している。
スペオペとオカルトの融合した世界設定や、アニメ世代らしいキャッチーな女性キャラ、破壊とバイオレンスが漲る思いのほかハードなストーリー展開など多彩な魅力を持つ原作コミックはヒット作となり、満を持してのOVA化となる。ちなみに本作も当時の人気マンガの例に漏れず映像化時点で原作は完結しておらず、本作の「プロローグだけで終わっているように見える」印象はそれも一因だろう。
本作の製作は先述したとおり『メガゾーン23part2』(1986年)でOVA史上最大のヒットを放ったビクターで、1986年末当時、OVAの製作にもっとも積極的だった企業の一つといえる。
タツノコ側のプロデューサー岩田弘氏、監督の山田勝久氏、脚本の富田祐弘氏(寺田憲史氏との連名)はTV『機甲創世記モスピーダ』(1983年)でも組んでおり、かつてトップクラフト時代の旧知であった山田氏を引き抜いてモスピーダの監督に据えた岩田氏の意向の強い座組といえそうだ。
アニメV1987年1月号表紙。原画は浜崎博嗣氏(駿河屋より)
キャラクターデザインと作画監督には竜の子アニメ技術研究所の浜崎博嗣氏がTV『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』(1986年)からスライドする形で担当しており、タツノコが劇場マクロスで培ったメカアクションと、浜崎氏の華麗なキャラクターの共演する画面は非常にリッチだ。『うる星やつら』のラムちゃんを彷彿とさせるヒロイン役にラム役だった平野文氏を起用、後の『AKIRA』(1988年)の主演で一気に声優として有名になった岩田光央氏の初アニメ主演(同時期の『時空の旅人』でも主演)、梅津泰臣氏や西島克彦氏などのスターアニメーターの競演、ジリオンに数か月先駆けてのタツノコ作品初のTVゲーム化(ファミコン用ゲームがビクターより発売)等々、トピックも多い本作だが、やはり原作と比べてストーリーや演出面での物足りなさは否めない。
『アウトランダーズ』VHS版パッケージ裏より
ここでタツノコはビクターとの縁が一度切れ、岩田氏の次作となるジリオンではキングレコードと組み、本作に次いでタツノコでは2本目となる完全新作OVA『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』(1988年)へと繋がることになる。
一方、本作の山田勝久監督とキャラデザイナー浜崎博嗣氏はビクター側のプロデューサー佐藤智子氏とともに、やはりビクター製作でマッドハウス制作のこちらもコミック原作のOVA『JUNK BOY』(1987年)に参加、以後マッドハウス作品を中心に活動してゆくことになる。ジリオンの第16話は浜崎氏にとってタツノコ時代最後の参加作品(ジリオンのレコードジャケット等の版権イラストは引き続き担当)となっており、本作は浜崎氏のキャリアの大きなターニングポイントとなった。
EP「Starry eyes」およびCD「赤い光弾ジリオン WHITE NUTS」のジャケット画像。原画はどちらも浜崎博嗣氏(駿河屋より)
本作のプロデューサー岩田弘氏は本作終了後、ジリオンのプロデューサーに就いているが、これまでの岩田氏のキャリアやジリオンの「宇宙からの侵略者に対して少年少女が立ち向かう」企画内容からすると、企画当初に想定されていた監督候補は山田勝久氏であったのかもしれない。当初予定されていた座組を覆し、西久保瑞穂氏を監督として招聘したのはご存知石川光久氏だが、ここにジリオンが現在見られるような作品になるかの大きな分水嶺があったように思える。
タツノコプロは本作リリースの1986年12月に大規模なリストラを行っているが、本作やドテラマン、そしてジリオンは、その厳しい環境下でスタッフたちが果敢にチャレンジを模索した作品群といえるだろう。
アニメディア1988年6月号より
次回は、本編ではついに姿が登場しなかった幻のホワイトナッツメンバー「バード少尉」について。