ジリオンとOVA『ザ・サムライ』
『ザ・サムライ』より
春日氏は当時人気のあった高橋留美子氏のフォロワーといえる絵柄や作風を持っており、その関係からだろうか、監督には押井氏降板後の『うる星やつら』(1981年)で監督をつとめた やまざきかずお氏が抜擢され、アニメ版も多分に高橋留美子風なお色気ドタバタコメディとなっている。以前(こちら)にも書いたように、やまざき氏は本作と並行してジリオンにも第4話「姿なき忍者部隊のわな」および第10話「炎!リックスの逆襲」の絵コンテで参加しており、4話ではJ.Jとアップルのキスシーン、10話ではアップルとエイミの水着姿が披露された。多数のヒロインの魅力を前面に押し出した作品の監督として、やまざき氏は妥当な人選だったのだろう。
アニメージュ1987年11月号より
そのやまざき監督に加え、本作にはキャラクターデザインと作画監督に後藤隆幸氏、作画にも浜崎博嗣氏や井口忠一氏、数井浩子氏、戸部敦夫氏などのジリオンと共通のスタッフが多数参加しており、その作画と、熱血主人公とヒロイン、主人公の友人のナンパ男のメイン3人を関俊彦、水谷優子、井上和彦の各氏が演じたキャスティングとがあいまって、本作はジリオンと非常に印象がカブる作品となった。特に井上氏の演じた南藩都来はルックスから性格から演技に至るまで、ほとんど当時放映中だった激闘編のチャンプにしか見えない。
主人公の友人、南藩都来。『ザ・サムライ』より
『ザ・サムライ』エンディングより
ちなみに後藤氏やホワイトナッツトリオの参加はジリオン人気にあやかったものではない。後藤氏はジリオン第1話の作画監督から立て続けに本作に参加しており、国分寺のタツノコ制作分室でジリオンが制作されているまさにその隣のスタジオ鐘夢で、後藤氏がザ・サムライの作業に専念していたことになる。
のちのDVDボックス発売時に行われた西久保氏と後藤氏の対談では、その点について西久保監督から後藤氏にチクリと恨み節が漏らされているが、おかげでジリオンの作画の幅が広がったのなら、後藤氏の不在も怪我の功名といえるのかもしれない。
1987年末から1988年初頭にかけて人気が爆発したジリオンだが、その人気ゆえに、ジリオンのファンが『ザ・サムライ』に言及する機会も多かったと記憶している。後藤氏や やまざき氏にとってはこういった形で本作が注目されるのは不本意だったのかもしれないが、「あえて」このキャスティングを行なった音響監督にとっては「してやったり」といったところではないだろうか。本作の音響監督 水本完氏はタツノコ出身で、タツノコでのジリオンの前作にあたる『ドテラマン』(1986年)を手がけた。ジリオンで音響監督をつとめた同じザック・プロモーションの清水勝則氏は氏の後輩にあたり、『逆転イッパツマン』(1982年)では共同で録音ディレクターをつとめている。このホワイトナッツトリオの起用には、清水氏からの推薦があった可能性もありそうだ。
アニメV別冊『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』より
本作以降、やまざきかずお監督と後藤隆幸氏は『敵は海賊 猫たちの饗宴』(1989年)や『ぼくの地球を守って』(1993年)などでもコンビを組んだ。後藤隆幸氏は望月智充監督作品の常連、との印象も強いが、西久保監督や やまざき監督との仕事でもその柔らかい描線で作品の空気感を担っており、押井監督とともにハード路線を歩むI.Gのパブリックイメージの固定化を拒んでいたようにも思える。
『ザ・サムライ』設定資料集より
本作はDVD、ブルーレイ等のソフトは発売されていないようだ。オークション等で流通する中古ビデオの価格は数百円ほどなので、いまなら当時のジリオンファンの気分を手軽に味わうことができる。後期『うる星やつら』や『プロジェクトA子』(1986年)的な80年代ノリが好きな人ならさらに楽しめるだろう。
次回は、低年齢向けに登場したジリオンの絵本と ぬりえについて。