アニメージュのジリオン論争とイラストコンテスト
アニメージュ1987年11月号より
徳間書店のアニメ誌「アニメージュ」は放映前こそ後藤隆幸氏のキャラクターの魅力を推していたものの、当時の鈴木敏夫編集長らアニメージュ編集部の趣味に合わなかったのかどうか、放映中のジリオンの扱いはあまり良くなかったようだ。
放映終了後にはその読者人気に押されたのかフォロー記事がいくつか出ているが、以下のアニメグランプリでの記事などを見ても、編集部は作品自体には最後まで奥歯にモノが挟まったような物言いに終始している。
アニメージュ1988年6月号「第10回アニメグランプリ」より
アニメージュ1987年8月号より
アニメージュ1988年1月号より
アニメージュ1988年3月号より
SNSによるあっという間の炎上を見慣れた現代の目からは牧歌的とさえ思えるスローペースの応酬だが、当時の若いファンにとっては切実な問題であったことは想像に難くない。
この論争はジリオンの放映終了とともに自然消滅している。結果的には、最初の記事を書いた関島氏や西久保監督は次回作に「前世の因縁」てんこ盛りの『天空戦記シュラト』(1989年)を手がけることになり(こちら)、アニメに「宿命の戦い」を求める当時のニーズには逆らえなかった格好だ。
アニメージュには毎月一作品をテーマとしたイラストコンテスト「フリースペース」コーナーが現在も存在している。作品人気やそのファン層によってその投稿数にはバラツキがあるが、ジリオンへの投稿は比較的多く、同時期のドラグナーの約3倍、オレンジロードの約1.3倍の786通を集めた。誌面への選抜を担当したのは、メインキャラデザイナーの後藤隆幸氏。
アニメージュ1987年11月号より
失敗したらリカバリーの効かないアナログでのイラストは現代とは比べ物にならないほど大変なはずだが、狭き門を通過した作品たちはどれも味があって魅力的だ。入賞者をよく見ると、マンガ版『スクライド』や『ジャイアントロボ』などで知られるマンガ家 戸田泰成氏や、小説「グイン・サーガ」「アルスラーン戦記」両シリーズの挿絵などで著名なイラストレーター 丹野忍氏と思われる名前が確認できる。
丹野氏、戸田氏のイラスト
審査をした後藤氏は、この当時『ザ・サムライ』(1987年)を終え(こちら)、『きまぐれオレンジロード』(1987年)の新OPの作画に入った頃だろうか。
冒頭に紹介した後藤氏直伝の「J.Jの描き方」「ジリオン銃の描き方」は基本的には読者向けに描かれたものだが、当時製作中のTVシリーズスタッフ(タツノコ制作分室や竜の子アニメ技術研究所)への目配せも含まれていたかもしれない。
次回は、これまで紹介してきたジリオン関連の書籍リストを公開。