西久保監督フィルモグラフィ(3)キティ時代とタツノコ帰郷編
八王子夢美術館『押井守と映像の魔術師たち』展図録 西久保氏インタビューより
(前回はこちら)
短命となった『みゆき』(1983年)はその終了後、劇場アニメになる企画もあったようだ。西久保氏がその監督候補だったのかは不明だが、映画化の企画は立ち消え、代わって宮田氏と西久保氏は『みゆき』で得た音楽演出のノウハウと、キティ・ミュージックのバックアップとを全面に打ち出した企画に着手する。
OVA『街角のメルヘン』より
『街角のメルヘン』(1984年)は、奇しくも西久保氏の同期 押井守氏が共同監督のひとりとして参加した日本初のOVA『ダロス』(1983年)とほぼ同時期に市場にリリースされ、日本で2番目に出た(より正確には、ダロスpart1,part2の後)OVAとしても知られている。どちらも旧タツノコプロのスタッフの手になり、どちらも天野喜孝氏のキャラクターであるなど、共通点は意外に多い。
『街角~』には原作はなく、『戦国魔神ゴーショーグン』(1981年)や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)、近年では『ポケットモンスター』(2017年現在も放映中)で知られた脚本家の故・首藤剛志氏が修行時代に書き上げたオリジナル脚本に基づいている。本作でプロデューサーをつとめた宮田知行氏と首藤氏は『黄金戦士ゴールドライタン』(1981年)で飲み仲間として意気投合したそうで、この未映像化シナリオの話を聞いた宮田氏はその映像化にたいそう意欲を掻き立てられたようだ。
「そんなもののどこがオリジナルなんだ」
現状に満足していない人も多く、そんなプロデューサーの一人に当時、キティフィルムのプロデューサーの宮田智行氏がいた。
宮田氏とは、彼が「竜の子プロダクション」のプロデューサーだった頃からの知り合いだったが、それより、むしろ、同年代の飲み友達として、新宿の飲み屋で、映画の話をよく語り合っていた仲だった。
そんな彼と、行きつけの飲み屋で酒を飲んでいた時、たまたま「十八才の童話(メルヘン)」の話が出た。
「それがそこそこ売れれば、日本のアニメは変わる。こういうアニメを俺は作りたかったんだ」
彼は、僕の脚本を握って離さなかった。
「今のアニメでは無理だ」
僕は言いかけた。
「やってみなければ……いや、やれるはずだ」
彼は可能な限りの優れたスタッフを集めた。今思えば、驚くほどのメンバーが揃った。
若き日の天野嘉孝氏がメインのキャラクターデザイナーで、今でも斬新に見える主人公の二人を描き、イメージシーンには、それぞれ別のデザイナーが個性的なキャラクターと原画を作りだした。
小林七郎美術監督を中心とした美術と背景は、春夏秋冬の新宿西口をロケハン……いや、アニメハンティングしまくった。
総監督は、当時「みゆき」というアニメを監督していた西久保端穂氏に決まった。
みんな、若く、そして、張り切っていた。
『街角のメルヘン』は日本のアニメ史における突然変異といえる作品だ。
舞台は現代の新宿、セリフは極限まで削られ、代わって多くの歌とそのイメージシーンが作品を埋め尽くしている。表現としてのベースはビートルズのアニメ映画『イエローサブマリン』(1968年)や、ことによるとディズニーのカルトクラシック『ファンタジア』(1940年)や『ダンボ』(1941年)あたりだろうか。
八王子夢美術館『押井守と映像の魔術師たち』展図録 西久保氏インタビューより
杉井ギサブロー氏からの否定的なコメントがアニメ誌に載るなど、内容的にも賛否両論となった本作は、首藤氏や西久保氏の作家性は存分に発揮されたものの、それだけアクの強い作品でもあった。
ちなみに、杉井氏はやはり『イエローサブマリン』の強い影響化にある『哀しみのベラドンナ』(1973年)を虫プロで手がけたあと、10年に及ぶ放浪生活を送ったのちアニメーションの世界に復帰。1984年当時はあだち充氏原作の『ナイン』を監督しており、『みゆき』を監督した孫弟子 西久保氏とはある種のライバル関係でもあった。この後、杉井氏は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(1985年)を劇場に送り出し、一方であだち氏原作の『タッチ』(1985年)をTVアニメ化、社会現象となる大ヒットを飛ばした。続く『紫式部 源氏物語』(1987年)は東映動画のアニメーターから「ガロ」の人気漫画家に転じた林静一氏を『ベラドンナ』に続いて起用しており、林静一風のヒロインを登場させた『街角~』との類似を感じさせる。深読みすれば、『紫式部~』は『銀河鉄道の夜』に続いて音楽担当が細野晴臣氏であり、『街角~』の音楽のヴァージンVSはあがた森魚氏のバンドである。細野氏の所属した はっぴいえんどはあがた氏ほどではないにしろ林静一氏との関わりがあり、そのサブカルチャーの流れを再度アニメの世界に引き寄せたのが杉井氏、西久保氏だったのかもしれない。
『街角のメルヘン』より
『紫式部 源氏物語』より
西久保氏はのちに『ねこひきのオルオラネ』(1992年)や『アタゴオルは猫の森』(2006年)『ジョバンニの島』(2014年)などで繰り返し宮沢賢治的世界を描いており、『銀河鉄道の夜』から27年後にやはり賢治原作の『グスコーブドリの伝記』(2012年)も手がけた杉井氏との「見えないライバル関係」は以降、ずっと続くこととなる。
ちなみに『アタゴオルは猫の森』は『銀河鉄道の夜』『グスコープドリ』でキャラクターを猫としてデザインした ますむらひろし氏が原作であり、ますむら氏はあだち充、林静一、宮沢賢治の各氏とならぶ、西久保氏と杉井氏のミッシングリンクともいえる。
世界初のOVA『ダロス』がガンダム風の宇宙移民の闘争劇であり、黎明期OVA最大のヒットとなった『バース』(1984年)がマクロス的な「メカと女の子」作品であったのと異なり、『街角~』はアニメファンに受ける要素をことごとく外していた。
その反省からだろうか、次に宮田氏と西久保氏が選んだ企画は当時の人気マンガ『軽井沢シンドローム』だった。
OUT1985年6月号より
その映像化に際し、なんとアニメではなく実写のイメージシーンを一部に挿入するという、これまた前代未聞なアプローチを本作は行なっている。実写や特撮を精力的にアニメに取り込んだタツノコの系譜らしい挑戦だが、視聴者には評判が悪かったようで、のちに実写シーンを差し替えた「総アニメ版」が制作・発売されている。
2本続けての黒星ゆえか、西久保氏はここでキティから離れたようだ。しかし西久保氏の攻めの姿勢は変わらない。
『カリフォルニア・クライシス 追跡の銃火』(1986年)は西久保氏が脚本・監督をつとめたOVA。西久保氏が脚本も手がけた作品には『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』(1988年)もあり、この2本はライブシーン演出の共通性など、西久保氏の嗜好が特に色濃く滲み出た作品といえる。
プロデューサーの栃平吉和氏はやはりタツノコプロの出身であり、本作に続いて『サーキットエンジェル』(1987年)で監督をつとめた。この『サーキットエンジェル』はキャラクターデザインに井口忠一氏、脚本に渡辺麻実氏を迎えており、音楽の大内義昭氏(「ピュアストーン」作曲)ともども、そのままジリオンの制作に加わったものと思われる。
『カリフォルニア~』最大の特徴は、全編に渡って鈴木英人風の絵柄がアニメーションすることだろう。鈴木氏は「FMステーション」誌の表紙イラストで著名であり、洋楽にどっぷり浸かった西久保氏らしい着眼点といえるが、西久保氏は既に『みゆき』のエンディングアニメーション(ED3「Good-byeシーズン」)でこの表現手法にチャレンジしている。
『カリフォルニア~』のリアルだが華のある独特のキャラクターは、西久保氏がのちに『天空戦記シュラト』(1989年)でも組んだ奥田万つ里氏による。本作はキティ作品ではないが、本作を観たキティの田原正利プロデューサーは企画中だった『銀河英雄伝説』(1988年)のキャラクターデザインに奥田氏を起用、銀英伝の主人公のひとりヤン・ウェンリーは本作の主人公ノエルをほぼそのまま踏襲したデザインとなっている。
また、大型バイクを乗り回す快活なヒロインは印象的な「バァン!」の演技を含め、ジリオンのアップルの直系の先祖といえるが、演じる富永みーなさんはアップルとよく似たキャラである(こちら )『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(1991年)のマァムをのちに演じた。
『カリフォルニア・クライシス』より
『赤い光弾ジリオン』第1話「コードネームはJJ」より
西久保作品にはよくあることだが、『カリフォルニア~』はストーリー性が希薄で、マクガフィンである黒い玉=スペースマインドが何であるかは最後までよくわからないし、主人公たちの成長が描かれるわけでもない。理由はわからないが追われながら目的地に向かう、という基本構成は米映画『バニシング・ポイント』(1971年)あたりがベースだろうか。ドラマ志向の脚本家 伊東恒久氏が参加しなかったらジリオンもああいった劇的なクライマックス(こちら)を迎えることはなかったのでは、と思わせる軽妙な持ち味の作品だ。
球を持つ主人公たち
『カリフォルニアクライシス』、『赤い光弾ジリオン』最終回「勝利のラストシュート!」より
映像にストーリーに音楽にと西久保氏のアメリカ嗜好をたっぷりと詰め込んだ『カリフォルニア~』は、キャッチーなその表現にも関わらず、またしてもセールスは振るわなかった。
ちなみに本作の特徴的な色彩設計には佐藤久美子氏がクレジットされているが、次作『女神転生』以降、現在に至るまで西久保作品の色彩設計をずっと担当している遊佐久美子氏の旧姓だろうか。西久保氏周辺の「遊佐」姓は、佐藤氏も動画で参加した『みゆき』や『街角のメルヘン』でキャラクターデザインと作画監督をつとめた遊佐和重(現 遊佐かずしげ)氏が確認できる。
キティからは宮田氏も1986年に独立、アニメスタジオ「J.C.スタッフ」を立ち上げた。そして以前も触れたように(こちら )ここでも西久保氏を監督に招聘、OVA『デジタルデビル物語 女神転生』(1987年)の実制作を担っている。
このメガテンが終わる前に、西久保氏は古巣タツノコの石川光久氏からオファーを受け、ジリオンの監督に就任している(こちら)。石川氏は初仕事となるゴールドライタンで、西久保氏の演出手腕に着目していた。ゴールドライタンのプロデューサーだった宮田知行氏(現J.C.スタッフ会長)から制作デスクだった石川光久氏(現プロダクションI.G社長)へと、西久保氏という才能のバトンは受け渡されることになる。
のちにI.G作品で数多くの監督を務める、西久保利彦(西久保瑞穂)氏の演出も、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」のシャープな仕上がりに一役かっているのだそうだ。
「西久保さんは色々な現場を経験しているんです。『あしたのジョー2』では出崎(統)監督の期待に応えていましたし、僕は『ゴールドライタン』の頃から凄いなと思っていました。西久保さんの演出スキルは非常に高くて、シャープなんですよね。押井さんの演出の持ち味である泥臭さみたいなものを、上手くあか抜けさせたのは、西久保さんの演出だったと思います」
前編「攻殻機動隊」の先見性と器の大きさ より引用
『街角~』『カリフォルニア~』はいずれもDVD、BD化されておらず、『軽井沢~』『女神転生』のDVDも現在では絶版となっている。『赤い光弾ジリオン』は西久保氏初の「アニメファンに受けた」作品だったが、その新鮮さには、それまでの作品がマイナーだったがゆえの驚きも含まれるのかもしれない。
『赤い光弾ジリオン』プルーレイBOX付属ブックレットより、
仮タイトル「シューティングファイター ジリオン」の企画書