デザイン集団アンモナイトと、アニメとゲームのメカ事情
アニメ『赤い光弾ジリオン』は、原作となる玩具「超光速光線銃ジリオン」を発売していたゲーム会社 セガ・エンタープライゼス(当時)がメインスポンサーとなっていた。そのためか、ガンダムでいうところのハロ(タツノコ作品なのでチョロ坊やオモッチャマというべきか)にあたるマスコットキャラとして、セガのアーケードゲーム『ファンタジーゾーン』(1986年)から、その主人公オパオパが抜擢されている。
アーケード版『ファンタジーゾーン』動画
アーケードゲームの黄金期は、人によって定義が異なるかもしれない。しかし、横スクロールシューティングゲームに関しては、1985年に登場した『グラディウス』(コナミ)から、翌年の『ダライアス』(タイトー)『ファンタジーゾーン』(セガ)を経て、1987年の『R-TYPE』(アイレム)に至る3年間がその最初の黄金期であったと言っても異論は少ないだろう。
グラディウス、ダライアス、ファンタジーゾーンの下敷き(レトロゲームグッズコレクションより引用)
原作ゲーム『ファンタジーゾーン』に登場するオパオパはそのキュートなルックスに似合わぬ生体兵器ともいえる存在だが、アニメ『赤い光弾ジリオン』のオパオパは、メカニックのデイブが製作したロボットという設定となっている。
アニメ用にリニューアルされたデザインは、本作のメカニックデザイン全般を手がけるアンモナイト。以前(こちら )に触れたキャラクター室の跡を継ぐ形で、タツノコ社内の小川浩、大倉宏俊、小野隆嗣の三氏によって結成されたデザイングループだ。
アンモナイトの成立には、タツノコがスタジオぬえと組んだ『超時空要塞マクロス』(1982年)、アートミックとのタッグの『機甲創世記モスピーダ』(1983年)のヒットを受け、ゆくゆくはタツノコ単体でデザイン、マーチャンダイズまでを含めた企画立ち上げを行いたい、という壮大な目論見があったらしい。いま考えると、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本サンライズを多分に意識した戦略だったのだろうか。
アンモナイトは『OKAWARI-BOY スターザンS』『超時空騎団サザンクロス』(ともに1984年)を手始めに主にタツノコ作品のメカニックデザインを担当したが、結局、企画や世界設定を手がけることはなかったようだ。
ここで、先ほどの『ダライアス』のイラストを見て欲しい。動物をモチーフにしたデザインはスターザンSのそれとも似ているが、それもそのはず、ダライアスのメカニックデザインもこのアンモナイトが手がけている。チーム名の元ネタであるアンモナイトが(ゲームに登場しないにも関わらず)手前に大きく描かれているのも面白いところだ。
そう思えば、ジリオンにおけるライディングセプターの鋭角でありながらも芋虫を思わせる独特な生物的フォルムなども、スターザンSのイーグルメカやダライアスの自機シルバーホークの延長にあるデザインにも見える。
1986年から87年にかけて、アンモナイトはダライアスのメカニックをゲームセンターに送り出し、次いでファンタジーゾーンのメカニックをTVに登場させたことになる。大河原邦男氏やスタジオぬえといった大御所と比べて注目されることの少ないアンモナイトだが、ゲーム、アニメの両業界に与えた影響は大と言えるだろう。
チームとしてのアンモナイトは現在では解散しており、個人での活動を行なっているようだ。ちなみに1995年のアーケードゲーム『ダライアス外伝』(タイトー)のクレジットにはI.Gタツノコの名前が見えるが、これはダライアス外伝でもメカデザインを担った元アンモナイトメンバー(小川浩氏か?)が当時I.G所属だったからだそうだ。