ZILLION ARCHIVE ROOM(Yahooブログ移行版)

Yahooブログから流れてきたTVアニメ『赤い光弾ジリオン』非公式ファンサイトです。元々は放映30周年を記念する週刊ブログでしたがそのまま不定期で続いています。

ガッチャマンとタイムボカン ~ジリオン・ジ・オリジン(3)~

 
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第17話「涙!JJを探せ」より
 
赤い光弾ジリオン』を生んだタツノコプロは2017年の今年、創立55周年を迎えている。
タツノコは1970年代を中心に意欲的なオリジナルアニメを多数生み出した。中でも特に人気が高い作品が『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)と、『タイムボカン』(1975年)に始まるタイムボカンシリーズで、2017年現在も同社の代表作としてそれぞれの後継作『インフィニティ フォース』『タイムボカン 逆襲の三悪人』が放送されている。
 
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1976年前後にジリオンの西久保監督や真下、植田、押井の各氏がタツノコに採用されたのは、当時の制作現場が多数の人気作品を抱え、慢性的に演出家が不足していたからだった(こちら )。のちにタツノコ四天王と呼ばれる彼らは『科学忍者隊ガッチャマンII』(1977年)のスタッフに名を連ねており、西久保氏は同期の各氏にジリオンへの参加を依頼した際、当時を思い出してやって欲しい、と語ったそうだ。
 
アニメージュ1987年4月号より

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野田真外著『前略、押井守様。』「竜の子四天王、押井守を語る」より
 
また、ジリオン作画監督として活躍した井口忠一氏は初代ガッチャマンに動画で参加し、キャラ、メカ双方のアクションでその後のタツノコを支えている。
ガッチャマンのボディアクション+メカ戦というフォーマットは様式化されて東映の戦隊モノに継承されたが、ジリオンでもより洗練されたガッチャマンフォーマットが披露されている。その選択は「トイガンの販促作品」という制約から生み出されたものと思われるが、巨大ロボットものが続いた当時の視聴者には新たなアクションものとして映ったのだろう。
 
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ジリオンには絵コンテで参加した押井守氏(「丸輪零」名義)、うえだひでひと氏(「綴爆」名義)はタイムボカンシリーズにも深い関わりを持っている。うえだ氏は初代タイムボカンに演出で参加し、シリーズ3作目のオタスケマンから8作目となるキラメキマンまでを笹川総監督の下で監督した。押井氏も2作目のヤッターマンから6作目のイッパツマンまでに絵コンテで参加している。
また、脚本、シリーズ構成としてボカンシリーズの屋台骨を支えた小山高男(高生)氏はジリオンの第21話「激突!ザ・スナイパー」の脚本で参加しているが、小山氏はジリオンの文芸 関島真頼氏の師匠であり、ジリオンへの参加も関島氏ルートからの依頼と思われる。
こういった、笹川ひろし監督の弟子筋ともいえるボカン人脈のゆえか、SFアクション作品であるはずのジリオンはときに大きくギャグへと振れ、その人気に拍車をかけることになる。
 
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「シビビンシビビン!」のセリフも飛び出した第28話「神秘!?ジリオンパワー」
 
また、チャンプ役の井上和彦氏はタイムボカンシリーズの流れをくむギャグアクション作品『とんでも戦士ムテキング』(1981年)や『OKAWARI-BOYスターザンS』(1984年)の主演をつとめており、原作モノの『昭和アホ草紙 あかぬけ一番!』(1985年)含め、2枚目と3枚目のギャップ演技にかけては当時の第一人者といっていい。登場当初はJ.Jのクールな兄貴分的存在だったチャンプが崩れたのは、タツノコ、小山作品における必然だったのかもしれない。
 
今年放送のタツノコヒーロー版アベンジャーズこと『インフィニティ フォース』は、軽妙な掛け合いとバトルアクションが融合し、新たな視聴者層を得た。
ポリマー、ムテキング、イッパツマン、ウラシマン、ジリオンと続いたタツノコのハードアクションと軽妙な持ち味の混交は、現代のタツノコにも受け継がれているようだ。
 
 
次回は、タツノコ史からみるジリオンのルーツ探訪の後編。ジリオンのメインスタッフが初めて出会った、ある意味最重要作品である『黄金戦士ゴールドライタン』と、タツノコプロの新世代と言われたSFアクション『機甲創世記モスピーダ』『未来警察ウラシマン』について。