ガッチャマンとタイムボカン ~ジリオン・ジ・オリジン(3)~
第17話「涙!JJを探せ」より
タツノコは1970年代を中心に意欲的なオリジナルアニメを多数生み出した。中でも特に人気が高い作品が『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)と、『タイムボカン』(1975年)に始まるタイムボカンシリーズで、2017年現在も同社の代表作としてそれぞれの後継作『インフィニティ フォース』『タイムボカン 逆襲の三悪人』が放送されている。
1976年前後にジリオンの西久保監督や真下、植田、押井の各氏がタツノコに採用されたのは、当時の制作現場が多数の人気作品を抱え、慢性的に演出家が不足していたからだった(こちら )。のちにタツノコ四天王と呼ばれる彼らは『科学忍者隊ガッチャマンII』(1977年)のスタッフに名を連ねており、西久保氏は同期の各氏にジリオンへの参加を依頼した際、当時を思い出してやって欲しい、と語ったそうだ。
アニメージュ1987年4月号より
ガッチャマンのボディアクション+メカ戦というフォーマットは様式化されて東映の戦隊モノに継承されたが、ジリオンでもより洗練されたガッチャマンフォーマットが披露されている。その選択は「トイガンの販促作品」という制約から生み出されたものと思われるが、巨大ロボットものが続いた当時の視聴者には新たなアクションものとして映ったのだろう。
タイムボカンシリーズ『逆転イッパツマン』OPより
ジリオンには絵コンテで参加した押井守氏(「丸輪零」名義)、うえだひでひと氏(「綴爆」名義)はタイムボカンシリーズにも深い関わりを持っている。うえだ氏は初代タイムボカンに演出で参加し、シリーズ3作目のオタスケマンから8作目となるキラメキマンまでを笹川総監督の下で監督した。押井氏も2作目のヤッターマンから6作目のイッパツマンまでに絵コンテで参加している。
また、脚本、シリーズ構成としてボカンシリーズの屋台骨を支えた小山高男(高生)氏はジリオンの第21話「激突!ザ・スナイパー」の脚本で参加しているが、小山氏はジリオンの文芸 関島真頼氏の師匠であり、ジリオンへの参加も関島氏ルートからの依頼と思われる。
「シビビンシビビン!」のセリフも飛び出した第28話「神秘!?ジリオンパワー」
また、チャンプ役の井上和彦氏はタイムボカンシリーズの流れをくむギャグアクション作品『とんでも戦士ムテキング』(1981年)や『OKAWARI-BOYスターザンS』(1984年)の主演をつとめており、原作モノの『昭和アホ草紙 あかぬけ一番!』(1985年)含め、2枚目と3枚目のギャップ演技にかけては当時の第一人者といっていい。登場当初はJ.Jのクールな兄貴分的存在だったチャンプが崩れたのは、タツノコ、小山作品における必然だったのかもしれない。
次回は、タツノコ史からみるジリオンのルーツ探訪の後編。ジリオンのメインスタッフが初めて出会った、ある意味最重要作品である『黄金戦士ゴールドライタン』と、タツノコプロの新世代と言われたSFアクション『機甲創世記モスピーダ』『未来警察ウラシマン』について。