ZILLION ARCHIVE ROOM(Yahooブログ移行版)

Yahooブログから流れてきたTVアニメ『赤い光弾ジリオン』非公式ファンサイトです。元々は放映30周年を記念する週刊ブログでしたがそのまま不定期で続いています。

ジリオン作画列伝(1)~後藤隆幸氏とスタジオ鐘夢、巨人なかむらたかし氏~

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プロダクションI.G公式サイトより(現在は非掲載)
 
プロダクションI.Gの「G」、ジリオンのメインキャラの生みの親である後藤隆幸氏はもともと背景志望だったという。後藤氏のイラスト特有の雰囲気は、後藤氏が大きな影響を受けたという『とんがり帽子のメモル』(1984年)の土田勇氏や名倉靖博氏へのリスペクトもあろうが、キャラクター以上に「絵」そのものに対する氏のこだわりから生まれているのだろう。
 
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アニメージュ1987年9月号「ぼくらの修業時代 後藤隆幸さん」より、後藤氏の背景習作
 
秋田から上京し、背景からキャラクター作画へと転向した後藤氏は、徐々に頭角を現し始める。ドラゴンプロダクションからタマプロに移籍、『昭和アホ草紙 あかぬけ一番!』(1985年)を皮切りにタツノコ作品に参加するようになってからは、竜の子アニメ技術研究所のホープだった浜崎博嗣、水村良男の両氏とともに、作品の中核的な役割を果たした。プロダクションI.Gの「I」、石川光久氏との関わりもここから始まっている。
 
後藤氏にとって転機となったのは、タツノコひさびさのオリジナル作品『ドテラマン』(1986年)だった。この作品で後藤氏は初めてオープニング、エンディングのアニメーションを手がけた他、ゲストキャラのデザインも行なっている。
 
 
 
 
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アニメック1987年2月号より
 
2017年8月現在なにかと話題の斉藤由貴さんだが、後藤氏がドテラマンの7話に登場させたそのオマージュキャラ「サイコーユ鬼」は、本来の視聴者層を超えてアニメファンにも評判となった。各アニメ誌で特集記事が組まれた他、アニメージュでは四コママンガ「こまったユ鬼ちゃん」が1987年4月号から1988年11月号まで連載、後藤氏の名を世に知らしめた。
 
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後藤隆幸画集 Gの旋律』より
 
後藤氏はドテラマン放送中にジリオンのメインキャラデザイナーに抜擢され(こちら )、同時期に自らが代表となる「スタジオ鐘夢」をタツノコ分室の一部を借り受ける形で立ち上げている。ちなみに「鐘夢」と書いて「ちゃいむ」と読ませるのは斉藤由貴さん3枚目のアルバムタイトルから。
 
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アニメージュ1987年11月号「スタジオ探訪 スタジオ鐘夢」より
 
スタジオ鐘夢の注目度は、ジリオンの人気に伴うように急上昇した。鐘夢のスタッフでは、後藤氏が第1話の作監をつとめた他、以前(こちら)触れた小林哲也氏が演出として、また数井浩子氏や尾関和彦氏、よつやみつひろ氏などが原画や各アニメ誌の版権イラスト等でジリオンを支えている。
 
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OUT1987年11月号より。原画はよつやみつひろ氏
 
アニメージュの記事では、鐘夢はジリオンの制作が終わり、タツノコ制作分室の解散とともに存亡の危機に立たされている、と書かれていたが、その後、制作分室の石川氏を社長に迎え、新会社「アイジー竜の子」として再スタートを切っている。第一回作品となったOVA赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』(1988年)には、後藤氏がキャラクターデザインと総作画監督、武田一也氏が作画監督として参加した。
 
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アニメV別冊『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』より。原画は数井浩子氏
 
後藤隆幸氏は歌姫の後、プロダクションI.Gによる初の劇場作品『機動警察パトレイバー THE MOVIE』(1989年)に参加したが、押井守氏とともにリアル劇場志向を強めていったプロダクションI.Gのメインストリームからは距離を置き、TV版でも作画監督をつとめた『めぞん一刻』『きまぐれオレンジロード』などの劇場版に、キャラクターデザインなどで関わっている。I.G作品では西久保監督とのOVAやTV作品などを中心に、近年では『黒子のバスケ』(2012年)、『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013年)等で現在でも腕を振るわれている。ジリオン以降の後藤氏本来の絵柄としては、『赤ちゃんと僕』(1996年)や『獣の奏者エリン』(2009年)などが代表作となるだろうか。
 
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2015年に行われたトークショー用に描かれたJ.J
 
ジリオンのオープニングは、伝説のアニメーター なかむらたかし氏が手がけた。これは『黄金戦士ゴールドライタン』(1981年)でなかむら氏と出会い、以来なかむら氏をアニメの師と仰ぐ制作プロデューサー 石川光久氏の要請によるものだろう。
 
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アニメージュ2004年1月号「この人に話を聞きたい 石川光久」より
 
赤い光弾ジリオン』オープニング
 
とにかくよく動くこのオープニングは、なかむら氏のサポートとしてアニメアール沖浦啓之氏が参加している(こちらでその経緯が語られている)。新旧トップアニメーターの共演として、またジリオン翌年の『AKIRA』(なかむら氏が作画監督、沖浦氏が原画で参加している)の前哨戦としても注目に値する。
 
特に0:31から0:46に至るチャンプ、アップル、J.Jの一連のカット(間にエイミとデイブのカットが入っているが、元々ワンカットだったものを分割している)はいま見ても惚れ惚れする。目まぐるしく表情の変わるアップルの手の動きは、その後のなかむら氏には見られなくなってゆく氏独特のケレン味を十分に堪能できる。
 
後藤隆幸氏は1988年のアニメグランプリでJ.Jの生みの親として男性キャラクター賞を受けた際、背景になかむら氏の描いたオープニング映像が流れて困惑したという。しかしその直後、女性キャラクター賞で同様に登壇した高田明美氏の背後に流れた『きまぐれオレンジロード』のオープニングは、後藤氏の手がけたものだったそうだ。
 
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DVD BOX付属ライナーノート「西久保瑞穂×後藤隆幸 スペシャル対談」より、後藤氏の発言

次回は、歌姫夜曲発売時に一度だけ行われたライブと単発ラジオ番組、それから27年後に行われたブルーレイBOX発売時のトークイベントについて。