2017-01-01から1年間の記事一覧
『赤い光弾ジリオン』OPより、伊東恒久氏のクレジット 『蒼き流星SPTレイズナー』は日本サンライズが1985年から86年にかけて送り出したロボットアニメ。それまでタカラをスポンサーとして『太陽の牙ダグラム』(1981年)『装甲騎兵ボトムズ』(1983年)『機…
OUT1988年2月号より 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』は週刊少年ジャンプで連載された人気マンガ。 この作品に登場するヒロインの一人、マァムは「アップルが元ネタでは?」とネットで度々指摘されている。 確かに初期マァムのルックスはアップルによく似…
1987年当時は希少だったオリジナルアニメの人気作として、ジリオンもアニメ雑誌の表紙をたびたび飾っている。 今回はその表紙イラストをご紹介。 アニメディア1987年8月号表紙(まんだらけより引用) 原画は後藤隆幸氏。なんとなく、宮崎駿監督がかつて手が…
第22話「ウソから出た大勝利!」より。変形バンクを決めるアディ 以前(こちら)にも紹介した通り、ジリオンの立ち上げはタツノコプロのリストラとぶつかり、人員的にもスケジュール的にも非常に厳しい船出だった。 放映開始後もスケジュールは逼迫し、制作…
アニメージュ1988年4月号「いまだから話せる「ジリオン」ないしょ話」より 『赤い光弾ジリオン』のアップル役、声優の水谷優子さんが昨年5月17日に亡くなって一年になる。 あかほりさとる氏とのラジオ番組の終了、まる子の姉や美星、ミニーマウスなどの持ち…
『赤い光弾ジリオン』ブルーレイBOX特典絵コンテ集 西久保監督による最終回絵コンテより 『赤い光弾ジリオン』のチーフディレクター(監督)である西久保瑞穂氏は、本名の西久保利彦名義で押井守監督作品の演出(アニメーションディレクター)としても知られ…
日曜朝10時からの『赤い光弾ジリオン』の放映枠は、直前の1987年3月までは海外アニメ『電光石火バットマン』が放送されていた。この『The New Adventures of Batman』(原題)はアメリカで製作され、日本語吹き替え版が1クール12話のみ放映されている。 www.…
アニメ『赤い光弾ジリオン』は、原作となる玩具「超光速光線銃ジリオン」を発売していたゲーム会社 セガ・エンタープライゼス(当時)がメインスポンサーとなっていた。そのためか、ガンダムでいうところのハロ(タツノコ作品なのでチョロ坊やオモッチャマと…
『赤い光弾ジリオン』の音声収録は、赤坂の新坂スタジオで行なわれた。当時のアニメ作品ではおなじみの音声スタジオであり、収録後にキャストやスタッフが食事や飲みに繰り出すことも多かったという。これは、TVアニメの制作が分業化された流れ作業であり、…
『赤い光弾ジリオン』(1987年)は30年前の今日、4月12日にその第1話が放映された。 以前にも触れた通り(こちら)、アニメ化の企画自体は1986年末にスタートしている。関係者のインタビューなどをつなぎ合わせ、企画立案から放映開始までのスケジュールの…
現在「RED PHOTON ZILLION」として定着している『赤い光弾ジリオン』の英語表記は、当初「SPARK SHOT ZILLION」だったように記憶している。アメリカ市場で最初にホワイトナッツが登場したのは映像作品ではなく、セガが当時販売していたゲーム機Master System…
ギリギリ昭和のアニメであるジリオンの放送当時(1987年)は、そのファン活動も昔ながらの雑誌投稿や同人誌などが主流だったようだ。 日本でインターネットが一般に普及し始めたのは1996年、Windows95発売の翌年からだった。それ以降、草の根のファン活動は…
全31話と短いシリーズながら当時の人気No.1作品となった(1988年の日本アニメ大賞ではファン大賞を受賞している)『赤い光弾ジリオン』には、放映終了と前後して映像ソフトが相次いで発売された。 2017年現在はDVD、BDボックス以外は絶版となっているが、以…
アニメディア1987年3月号より のちの『赤い光弾ジリオン』(1987年)、企画タイトル『シューティングファイター ジリオン』の企画は1986年の年末に立ち上がったようだ。タツノコプロの前作、ドテラマンの打ち切りが決まった頃だろうか。 『赤い光弾ジリオン…
いまから30年前の1987年4月12日(日曜日)、日本テレビ系列のオリジナルアニメとして『赤い光弾ジリオン』はスタートしました。 ここはジリオンが作られた当時の状況を検証しつつ、いまだ色褪せない魅力を放つ本作の成り立ちとその後の影響とを、当時の資料…